斎藤幸平著『人新世の「資本論」』を読んで
大学時代か高校時代に社会主義は資本主義を経て到達するみたいな話を聞いた覚えがあって、それを定期的に思い出しては「あれなんだったかなぁ・・・」ってなってたので、それをこの本を読んで「あ、やっぱそういう話あったよね」となった。
この本の内容云々以前に、長年のもやもやが少し晴れたと言う点からこの本読んでよかったなと思った。(何でこの話を聞いたのかは一向に思い出せないけど・・・)
一人の意見を聞いて自分の行動を決めると言うことはしないので、この本を読んだからと言ってあれをするこれをする(またはその逆であれはしないこれはしない)というのはないけれど、なるほどなかなか説得力のある本ではあったし、読みやすかった。
読めば読むほど、近代以前の研究者というのはその研究領域が驚くほど広くて圧倒される。もちろん、現代の研究者も自身の専門分野だけでなくそれ以外の分野にも研究の裾野を広げているだろうけど、深さが全然違うんだと思う。
近代以前に比べて現代の場合は分野が細分化している影響でなかなか研究領域を広げられないと言うのもあるかもしれないし、何より『情報量』と『それを考える時間』が近代以前と現代とでは違うから致し方ないのかもしれない。
だからこそ、『マルクス』のような研究領域が広い過去の人をを研究する人ことが現代でが有効かつ重要で、それを研究する人もいるんだろうな。
『過去』から学ぶってやっぱり大事だな。
の最初の方にマルクスの考えは云々のところを読んで
旅話〜東京都内での移動手段〜
TwitterのTLを眺めていたらこれは東京旅で使えるかなぁと思った記事があった。
東京に遊びに行く時は、その時の旅の内容にもよるとはいえほぼ決まってtokyosubwayticketを使って東京メトロと都営地下鉄に乗って東京を縦横無尽に駆け巡っていたりする。
(https://www.tokyometro.jp/tst/jp/)
ただ、この東京メトロと都営地下鉄乗り放題になるtokyosubwayticketは購入方法が限られるし、使用可能期間も最長で72時間だから長期滞在の時には不向きなのもあって、他に何かないのかなと思うこともしばしば。
とはいえ、東京の電車賃は地方都市と比べたら格段に安いから目的地によっては乗り放題ではないほうが良かったりもする。
そう考えると東京メトロが試行する土日祝だけの実質乗り放題は使い勝手が良いかも?と思ったりしたけど、んー、2週間くらい(土日を2回挟む)の滞在からならありかもしれない、くらいかな。
tokyosubwayticket72時間券が1500円ってこと考えると無理してこの東京メトロの制度を使わなくても良いかな。
まあ、東京メトロの意図もおそらく都内在住者に東京メトロにもっと乗ってもらおうというものだろうし、無理して使おうとしなくてもいっかな。
東京行く時は今後も新幹線使っていくだろうから72時間券使い倒せばいいや。
池田晶子著『知ることより考えること』を読んで
何かの書誌情報に本書のタイトルがあって「いやいや、知ることも大事だろ」とタイトルに突っ込みを入れつつも、どういう理由でそう結論付けたのか気になってしまったので図書館で借りて読んでみた。
内容はもちろん、そもそも著者が誰なのかも全く知らないし、てっきり最近の本かと思ってたから第一章の一つ目の最後の一文を見て「あれ、なんだこの本結構前のじゃん」ってなって、さらに裏表紙の著者プロフィール見て「あぁ、これ哲学する本か!」となる。
読んでいくと面白いのが、15年ほど前の話なのに当時起きている内容が今起きていることと大差ないな、ということと、人が考えることは大体いつも同じなんだなってこと。たかだか15年しか経過していないんだからそれもそうかと納得もする。
第二章の『お金を稼ぐと言う子供』は今も昔もお金を稼ぐことが話題になってるんだな、とか、第三章の『学力いらない』の話なんかは大学の共通テストに切り替わって云々とかと似たり寄ったりだな、とか、他にも「おや、これは今のこれと同じでは?」と思うものがちらほら。というか15年前と今とが繋がっているんだから同じだったり似ていると感じるのは当然かもしれないけど。
それにしても第一章の『子供は哲学する』の
大人になると人は、存在の不思議という人生の一大事を忘れ、天下国家なんて些事にかまけることになる。しかし子供の頃は、誰もが感じていたはずだ。宇宙の果てはどうなっているのか、自分が死んでも世界は在るのか、どうして自分は自分なのか。
この一文を読んだ時は驚いた、この疑問は誰もが持っていたのに年齢を重ねると失われるのかと。
自分は今でもたまに「今自分が死んだら次の瞬間この世界はどうなるのだろうか」と考えて考えて、それでもやっぱり答えが出なくて最後には酷く消耗して「今回もダメだった。また回復したら考えよう。」ってなるんだけど。日々仕事や雑事に追われてるとそんな消耗したくないし、そもそも考える時間もないから子供のように哲学することがなくなるのかな。
本書を読み進めていくと「あぁ…もっと考えて生きよう」と思うので、「なるほど、タイトルの知ることより考えることとは言い得て妙」と頷く一方で「いやいやでもやっぱり知ることも大事だろ」と思って最後まで読んだらあとがきに、
『知ることより考えること』とは、決して知ることの否定ではありません。
という一文があったのでほっと一安心した。
著者の他作品も気になるので借りて読んでみようかな。
漫画『アビスアジュールの罪人』by冨明仁
本屋の新刊コーナーで気になりつつスルーしたらその時買った別の漫画に試し読みが入っててまんまと買う気になってしまった作品。
絵柄が好みという以上にコマ割りと台詞回しが好みだった。台詞ほぼなしなのに「あー、はいはい、わかるわかる」ってなるページは最高だと思う。
肝心の内容はネタバレが嫌いなので細かくは書かないけど、展開の早さと登場人物が魅力的で面白い。陸側の登場人物ももっと絡んでくるのかな、そうだといいな。
それにしても店頭の試し読みも危険だけど、漫画に封入されてる試し読みはもっと危険・・・。家でじっくり何度も読めてしまうせいで、結構な頻度でこの封入の試し読み読んで買ってしまってる。出版社にうまいことはめられてるな!
まあ面白い漫画をたくさん読めるに越したことはないからいいんだけど、資金が・・・笑
石川宗生著『四分の一世界旅行記』を読んで
タイトルを見た時、「なんで四分の一なんだろう」と思った。
そして読み終わった時、「なんで四分の一かは分からなかった」となった。
いや、きっと、多分、おそらくは作中に書かれていた、
”イスファハンは世界の半分”
から来ているんだろう。
作中で著者の石川氏はイスファハンの地に足を踏み入れてはいないので、どうあがいても世界の半分しか行けていないのでタイトルとしてつけられるとしても『半分の世界旅行記』となる。
でも作品紹介文にも記載があるけど、作中で訪問してる国は中国・パキスタン・キルギス・ウズベキスタン・アゼルバイジャン・ジョージア・アルメニア・トルコ・ブルガリア・ギリシャ・マケドニア・セルビアのユーラシア大陸の12カ国。
どう考えても世界の半分とは言えない。
なのでまあ「四分の一くらいでいいんちゃう?」という感じなのかもしれない。
「世界の国の数は190ちょいなんだから12カ国で四分の一とかおかしいだろ。十分の一ですらないぞ!」とか「大陸的にもユーラシアだけで何を言っている」とかうだうだと突っ込んでもいいかもしれないけど、「なんで四分の一かは分からなかった。でもなんか四分の一って感じする」という読後感があったからいいかなって思ったり。
ちょっと検証っぽいことをしてみたけど、まあ、読んで面白いと思ったならそれでよし、ですよ。
この感想文では本書の面白さは一ミリも伝わりそうもないけれど。
古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』を読んで
コロナ関連のニュースで事あるごとに「若者が、若者が」というのを耳にしていたら”若者とは一体何を指すのか”ということが気になり、そんな折、図書館をぶらぶらしていたら本書『絶望の国の幸福な若者たち』が目についた。
”若者たちについて書かれていそうだし、これを読んだら少しは若者とは何かがわかるかもしれない”と思い読んでみた。
2011年発行の本でちょうど10年前の本だったけど、書かれている内容を現在に照らし合わせても大差ない気がした。
若者という言葉が指すものはひどく曖昧で【これが若者だ】というのはない。
だからこそ、【若者】という言葉を使ってあれこれ語ろうとしてしまう、そういうことなのだろう。
自分はもう若者ではない、と思っている人達が、今も【若者】というひどく曖昧な括り方で、ああだこうだと議論している。
本書で著者が階級の消滅とともに若者が誕生した、というようなことを書かれていた。
もしかしたら階級が復活しない限り、【若者】を使った語りは消えないのかもしれない。
エメリー・レヴェック著、川添節子訳『天体観測に見せられた人たち』を読んで
自分の中の天文学者のイメージが見事に打ち砕かれて「そうだったのか!!」となって非常に痛快だった。
星空を眺めているだけじゃなかった…。
データ分析を駆使しているなんて…。
というか数学とか物理とかが重要とか、全然わかってなかった。
でも確かにその二つの学問、特に数学は古代にまで遡れば天文と数学って結びついてたな?となるし、そうだよ、大事じゃん、ともなった。
こういった天文学についてだったり、天文学者の生態についての話ももちろん面白かったけど
ある同僚が面白いことを言っていた。私たち天文学者は、神秘的な意味合いはないにしても、ほかの誰よりも星に人生を左右されている、と。
おそらく偶然と選択—森羅万象のめぐりあわせと、自分のキャリアと運命を宇宙にかけるというちょっと変わった決意—の組み合わせなのだろう。
この2箇所が天文学者というものだけでなく、もしかしたら全ての人の生き方に当たっているのじゃないかなと思ってとても心に響いた。
天文学者が『星』に人生を左右されるように、皆それぞれ『星』にあたる『なにか』に人生を左右されている。
偶然の出来事とその時々の選択の積み重ねによって人生が進んでいくのではないかな、と。
天文学者の生態が気になって読んだ本だったのに、最終的に「やはり人生とは偶然と選択の積み重ねだな」という感想を抱くところがなんとも自分らしいと思って笑ってしまった。