池田晶子著『知ることより考えること』を読んで
何かの書誌情報に本書のタイトルがあって「いやいや、知ることも大事だろ」とタイトルに突っ込みを入れつつも、どういう理由でそう結論付けたのか気になってしまったので図書館で借りて読んでみた。
内容はもちろん、そもそも著者が誰なのかも全く知らないし、てっきり最近の本かと思ってたから第一章の一つ目の最後の一文を見て「あれ、なんだこの本結構前のじゃん」ってなって、さらに裏表紙の著者プロフィール見て「あぁ、これ哲学する本か!」となる。
読んでいくと面白いのが、15年ほど前の話なのに当時起きている内容が今起きていることと大差ないな、ということと、人が考えることは大体いつも同じなんだなってこと。たかだか15年しか経過していないんだからそれもそうかと納得もする。
第二章の『お金を稼ぐと言う子供』は今も昔もお金を稼ぐことが話題になってるんだな、とか、第三章の『学力いらない』の話なんかは大学の共通テストに切り替わって云々とかと似たり寄ったりだな、とか、他にも「おや、これは今のこれと同じでは?」と思うものがちらほら。というか15年前と今とが繋がっているんだから同じだったり似ていると感じるのは当然かもしれないけど。
それにしても第一章の『子供は哲学する』の
大人になると人は、存在の不思議という人生の一大事を忘れ、天下国家なんて些事にかまけることになる。しかし子供の頃は、誰もが感じていたはずだ。宇宙の果てはどうなっているのか、自分が死んでも世界は在るのか、どうして自分は自分なのか。
この一文を読んだ時は驚いた、この疑問は誰もが持っていたのに年齢を重ねると失われるのかと。
自分は今でもたまに「今自分が死んだら次の瞬間この世界はどうなるのだろうか」と考えて考えて、それでもやっぱり答えが出なくて最後には酷く消耗して「今回もダメだった。また回復したら考えよう。」ってなるんだけど。日々仕事や雑事に追われてるとそんな消耗したくないし、そもそも考える時間もないから子供のように哲学することがなくなるのかな。
本書を読み進めていくと「あぁ…もっと考えて生きよう」と思うので、「なるほど、タイトルの知ることより考えることとは言い得て妙」と頷く一方で「いやいやでもやっぱり知ることも大事だろ」と思って最後まで読んだらあとがきに、
『知ることより考えること』とは、決して知ることの否定ではありません。
という一文があったのでほっと一安心した。
著者の他作品も気になるので借りて読んでみようかな。